こんにちは、まるこです!
今回は話題の米津玄師さんの彼女問題に迫ります。
目次
米津さんの彼女は事務所の女社長!
紅白の徳島から中継されたパフォーマンスは圧巻でしたね。
なんと視聴率44%超えだったとか。
あの場所は最初教会にも見えましたが鳴門市にある美術館だったそうです。
さて問題の彼女ですが!
米津さんの10歳上の菅野美穂似の美女で、元レコード会社のスタッフ
ということです。
デビュー当時の中川翔子に似ているなどの声もあるのですが、
情報では菅野美穂にも似ているとか。
どちらにしても、きっと可愛くて美人(!)なんでしょう。
右の写真の米津さんの隣の人ですね。
どうやらこの人だと思われます。
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米津さんををスカウトした5人のうちの1人で、後に米津さんの信頼を得て、
個人事務所を立ち上げ、社長に就任したと言われています。
また、「Flowerwall」のCDジャケットに描かれたイラストのモデルは
彼女だといわれているらしいです。
A子さんは米津さんを心身ともに支えているらしい
高校卒業後、米津さんは大阪の美術専門学校に通いますが一年で退学しています。
自宅に引きこもりながら、米津さんはネット上で音楽活動に没頭していきました。
そしてその後才能が一気に開花したんですね。
「ハチ」という名義で、「ニコニコ動画」に、自作のアニメーション付の
オリジナル曲を投稿し、弱冠二十歳であっという間にネット音楽界のカリスマ
となり、11年発表の「マトリョシカ」は一千万再生回数を突破します。
当時、池袋で開かれた自主制作CDの販売会場には、米津さん本人が自ら
手売りするということもあって熱狂的なファンが殺到しました。
でしょうね、でしょうね!知ってたら私も行きたかった( ˃ ˄ ˂̥̥ )
また会場には、大手レコード会社のスカウトが何人も姿を見せ、
メジャーデビューのオファーをしていました。
その当時、<ユニバーサル・ミュージック>の女性社員だったA子さんも、
その一人でした(『ニコニコ動画』関係者) 。
週刊文春より
<ユニバーサル・ミュージック>の男性プロデューサーが米津さんにオファー
する時に自分もファンだからと一緒にスカウトに加わり、
<ユニバーサル>との契約後にはA子さんが全面的にプロデュースを担当した
といいます。
宣伝畑一筋だったA子さんは、雑誌やラジオへのミュージシャンの売り込みは
得意でも音楽制作には素人だったのですが、
それなのに!
にも拘らず!
A子さんは米津さんの絶大な信頼を得て、個人事務所を立ち上げ
社長に就任しました。
なんという二人の結びつきなんでしょう。
ショックではあるのですが、
米津さんもA子さんを全面的に信頼していますよね。
そして13年5月、米津はKさんの下、本名米津玄師名義で、メジャーデビューを果たす。
生身のバンドミュージシャンとの共同制作に挑み、ミュージックビデオにも初めて出演した。
「作曲から編集まで全てパソコンで自己完結していた米津を、Kさんがスタジオに連れ出し、完全にコントロールしています。ただKさんは周囲のスタッフへの要求が高いため、頭を悩ませる担当者は多く、レコード会社の担当は頻繁に交代しています」(同前)
15年1月発売のシングル「Flowerwall」は、こんな歌い出しから始まる。 〈あの日君に出会えたそのときから 透明の血が僕ら二人に通い 悲しみも優しさも 希望もまた絶望も 分け合えるようになった〉
週刊文春1月17日号より引用
まとめ
いかがでしたか?
米津さんの恋人はやはり所属事務所の社長でした。
SNSでは悲しみの声等もあがっているようですが
彼女の存在がなければ、米津さんはここまで有名になっていなかったかも、
もしそうだったとしたら米津さんを知ることもなかったかも、
と考えたら、これはもう応援するしかないでしょう。涙)
そしてこれからまだまだ、いい歌を届けて欲しいですね!
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