堀ちえみが手術を受けた病院はどこ?自宅から近かった!

芸能人

堀ちえみさんが舌癌の第4ステージであることを公表し、世間を驚かせましたね。

出生名堀 智栄美
生誕1967年2月15日
出身地大阪府堺市東区
学歴堀越高等学校
ジャンル歌謡曲
職業歌手・女優
活動期間1982年 -1987年
1989年-
事務所ホリプロ→松竹芸能

目次

堀ちえみさんが手術を受けた病院は?

堀ちえみさんが手術を受けた病院はどこなのでしょう。

都内の大学病院で舌癌を扱っている、となるといくつか考えられます。

  • 東京医科歯科大学医学部附属病院 (文京区湯島一丁目)
  • 順天堂大学医学部附属順天堂病院病院  (文京区本郷3丁目)

この辺りが考えられるのではないかと思います。というのも堀さんの自宅が文京区茗荷谷ということで、どちらも近いのです。

上は堀さんが購入したという自宅の画像です。

ステキな煉瓦造りのお宅ですね。

2階には娘さんと息子さんが住んでいて、20畳のリビングルームがあるとか。変わっているのは、玄関入ってすぐのところに冷蔵庫があるそうで、喉が渇いていてもうちに帰ってすぐに水分を摂れるんですね笑

絶対注文時住宅だと思ったら、建て売りなんだそうです。

お祖父様が建ててくれた実家。「心地よい家」を大事にしていた堀ちえみさん

大阪に実家がある堀さんですが、実家は堀さんが中学生になる頃にお祖父様が「友達を呼んでも恥ずかしくないように」と設計士の方と相談を重ねて、建ててくれたそうです。

どんなお家かというと、女の子が好みそうな可愛らしいデザインの家で、応接室は、上品なモスグリーンとブラウンが基調でベルベッドのクロスやボンボンのついたカーテンがついていて、リビングにはイタリアで買い付けたガラス天板のテーブルがあり、イスや家具はもちろん、食器も雰囲気を合わせてそろえてあったといいます。

防音完備のピアノ室もあり、そこにはスペイン製の照明やタイルを埋め込んだテーブルが置いてあって、3姉妹の部屋には、かわいい机とベッドがあり、赤のペンキで塗ったドア、真っ白なクローゼット、サーモンピンクの絨毯……と、今でも鮮明に覚えているほど大好きな部屋だったとのことで、お祖父様は何をされていた方なのかわかりませんが、ステキですね!

堀さんは3姉妹だったのですね。

遊びに来た友だちはみんな大感激したといいます。遊びに行った友達の家がそんなに可愛かったら感激しますよね。

それに床にものが落ちているようなことは決してなく、いつも片付いている家だで、堀さん自身も愛着がある空間だから自分の部屋を毎日掃除したそうです。

10代から、自分の部屋を毎日きちんと掃除するなんて、しっかりしたお嬢さんだったんですね。

堀さんの子供は何人?

堀さんは3回結婚をしています。

現在の結婚で相手の連れ子二人を合わせて7人の子供を持つお母さんです。

1度目は1989年、22歳の時で、相手はひとまわり以上年の離れた外科医でした。

馴れ初めは堀さんのお母さんの経営していた喫茶店の常連客だったことが出会いのきっかけだったようです。

堀さんは20歳で一度電撃引退をしていますが、そのあと喫茶店をお手伝いしていて、その時に出会ったということのようで、その結婚で男の子を3人授かっています。

ですがこの結婚は破綻するのも早く、95年には別居となり、その後裁判沙汰にもなり約10年後の1999年に離婚しています。

離婚理由は相手のDV、ということが言われて当時世間を騒がせましたが、やしきたかじんさんがメディアでこの件を取り上げたところ相手の男性に名誉毀損で訴えられ敗訴していて、今となってははっきりしたことはわからないのですが、医者のDVって、ドラマなどでも結構取り上げられたりしますよね。

火の無いところに煙は立たないのではと思いますが、この人に関しては一般人ということもあり、名前等も一切出ていなく情報もありませんでした。

離婚後3人の子供さんの親権は堀さんに渡ったといいます。

現在では3人は長男が28歳くらい、次男が27歳くらい、三男が25歳くらいと成人していて離れて住んでいます。

2回目の結婚

2回目の結婚は2000年の時です。1999年に離婚が成立したあと、約1年ほどで再婚したことになります。

そのお相手は、1人目の旦那さんと離婚裁判中に同居していたという男性で、お名前は加藤芳樹(かとうよしき)さんといいます。

  • 1967年の京都生まれ
  • 1996年より出版社「山と渓谷社」大阪支局に勤務
  • 山岳部門の編集長を務めていた

ヤマケイ関西ブックスなど多数のガイドブックも手がけています。

加藤芳樹さんと知り合ったのは、堀ちえみさんが1人目の旦那さんとの離婚裁判中で、心身ともに疲れていた堀さんを支えていたといいます。

上は堀さんが最初の結婚をしていた時に出版した本ですが、この本は山と渓谷社から出版されていますので、すでにその時に出会ってはいたものと思われます。

この結婚で四男となる男の子と長女を設けます。5人目のお子さんを出産した時35〜6歳ですので、毎日相当大変な子育てだったのではと想像されます。

あるインタビューで堀さんは、

相手の加藤芳樹さんは、2006年に「有限会社彩月カンパニー」というお子さんの名前を付けた会社を設立しました。

この結婚で四男となる男の子と長女を設けます。5人目のお子さんを出産した時35〜6歳ですので、毎日相当大変な子育てだったのではと思います。

子供の名前を会社名にするなんて、夫婦仲もきっとうまくいっていたのではと思ったのですが、2010年に離婚してしまいます。

離婚理由はお互い忙しくて気持ちがすれ違ったとか、収入の格差が離婚につながったとか言われていますが、この時も親権は堀さんに渡ります。

3回目の結婚

2回目の離婚会見では、もう結婚は考えたくない、仕事を頑張る、と言っていた堀さんですが、2011年に3回目の結婚をしています。

相手はパチンコで有名なSANKYOの役員で、「尼子(あまこ)」という名字を堀さんがブログで公表しています。

2011年に主人と結婚して、今は4LDKのマンションで暮らしています。私の子どもの年長3人は独立しているので、下の子2人と主人の子2人の6人家族。

もともと主人が住んでいたマンションに私たちが引っ越してきました。結婚を機にテーブルやイス、ソファーなどの家具はすべて同じ木目調の素材にそろえて、照明も料理がおいしそうに見える柔らかい色に変えました。


子どもが多いと散らかるというイメージがあると思うのですが、我が家はリビングはもちろん、子ども部屋もいつも片付いていますよ。私はものを溜め込まないタイプなんです。余計なものは増やさない、新調したら古いものは処分するのがマイルール。だから、子どもたちにも新しい下着や靴下を買ったら、古いものは捨てて自分で整理させるようにしています。

ものが多いとどうしても乱雑になってしまい、そのままでいいかなって思いがち。でも、余計なものがなければ散らからないし、子どもたちも散らかさないんです。それに、幼い頃から遊びながら片付けることを習慣にさせていたので、彼らは今もそれが身に付いていますね。私自身も実家がそうでしたから、子どもの頃の環境が大きく影響しているのだと思います。


ただ、洗濯ものや食事は大量です。洗濯は1日3回。餃子は100個、1.5キロ分のハンバーグにパスタやグラタンも作って…。そんな毎日なので、効率の良い家事動線は何よりも重要です。今の住まいはとても動きやすい設計なので助かっています。あとは、リラックスできる空間であることも大切です。

家具の材質や照明はもちろんですが、音楽や香りにもこだわっています。いつも片付いていて、居心地がいい。家でごはんを食べたい、早く帰りたい。そんな風に思える住まいでありたいですね。

https://www.stepon.co.jp/interview/vol_23/

堀さんの下のお子さん二人と、再婚したお相手の連れ子二人と夫婦、合わせて6人の賑やかな家族の暮らしが見て取れますね。

ご主人は大手パチンコメーカーのSANKYOに勤めているとの情報があり、調べてみるとSANKYOのH.Pに執行役員として尼子勝則さんのお名前がありました。

パチンコメーカーは儲かっていますから役員の報酬も1億以上ともいわれます。すごいですね。

執行役員というのは取締役の下に置くと言われますが、役員待遇であることには変わりないので、堀さんの収入と合わせればお金持ちということは間違いないでしょう。

やっぱり2回目の離婚理由はお金問題もあったのではと思ってしまいますね。

舌癌の前に堀さんを襲ったリウマチ 〜おわりに〜

堀さんは2016年の3月頃からリウマチを患い、早い段階で相性の良い薬を処方してもらいことができ、今では体の痛みはほとんどないそうですが、薬の副作用ですごく気持ち悪くなることが多かったそうです。

舌癌との診断を受けて、「人生、幕を閉じてもいいかな」とも思ったといいますが、お子さんのため、家族のために闘病を決意した堀さん。

どうか乗り越えて、またあの元気な笑顔を見せてくれることを祈っています。

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